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私:「たぶん,巣鴨の雑踏の中でただ茶室を計画しても,計画に限界があると思うので,何か別の施設と茶室という組み合わせを考えてお互いの相乗効果を考えてみたらどう?」
学:「例えば何ですか?」 私:「それを考えるのが授業じゃないの?僕が答えていたら意味ないじゃないの?」 私:「例えば...レストランや映画館や図書館などとの組合せ,またはゲームセンターなんかの組合せも面白いんじゃない?」 学:「なるほど...」 私:「実際に出来るとかあり得ないではなくて,発想のきっかけが大事なのでまず思いつく事を書き出していったら?」 そこで別の学生登場 別学:「茶室だけで考えたらダメなんですか?」 私:「別にダメじゃないけど,まず課題としてどう展開できるかが大事であり,ただ茶室をつくっても意味はないし,人が魅力を感じて集まってくるとは思えないよ.どういうコンセプトの茶室をつくるかではなないの?あと図面として,課題としてそのテーマや魅力を紙の上に表現できるかも大事」 そこでいくつかのやり取り(会話)が行われるのですが,ポイントは学生が僕がいう「二ひねり半」の思考の事を「=奇抜な発想」と短絡的に思い込んでいることに問題があります.奇抜さを狙っているのではなく,考えて考えてさらに仕上げにひねる事が大事なのであって,練って練って練りまくる事であり奇抜さとは意味が違います.が....学生には僕の言う創造的な事とは奇抜な事と解釈されているようです. やはり,悩みます. ![]() (写真)Dog cafe 2nd 建築家.米村和夫の建築 Site |
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