僕が高校を送った時期は,「管理教育」という馬鹿げた教育風習がありました.(今はわかりません).何をやるにも制度と秩序が重んじら,それを少しでも踏み外した場合,体罰はあたり前.僕が先生に殴られた回数等は数知れず.
例えば毎朝校門で,鬼のような顔をした表情の先生数名が立っていて服装や頭髪をチェックするのです.髪の毛が耳にかかりそうだとOUT!で生徒手帳を没収.毎朝,生徒を犯罪者を捜す鋭い目線で校門に立つ.それが教員なのかと高校生ながら寂しく感じたものです.怖いという意識となんと可哀想な先生...という思いで校門を通るのです.そしたら目があった先生に呼び止められ生徒手帳を没収.耳に髪の毛がかかるかどうか(女性の場合は肩)なんて帽子のかぶり方と主観でなんとでも取れる科学性も根拠もない馬鹿げた基準だったのです.ただ目が合えばOUTそんな次元です.そのような環境で反発することはあってもグレることはあり得ないのです.グレずに勉強をするようになるから親からは評判のいい学校でした.
「先生の声は神の声である」と堂々と朝礼の時に訓示があります.一生忘れない名文句です.自分達を神に例える事態,公務員,教職員,そして人間として欠陥がある者が先生をやっていたのです.1年生の時,大学を出たての人間が担任でした.23歳程の若造が,恥ずかしくもなく,神だの偉そうなことを言ったり,叩いたり殴ったりしたものです.
特に僕の居た学校は,「東郷高校」「豊明高校」と「天白高校」で“恐怖の3T"と言われていました.そんな生徒を虫けらのようにに扱う.体罰あたり前,教員を神だと言うイデオロギー(?)を愛知県の教育委員会が認めていた訳ですから今のいじめ問題などで話題になりますが,教育委員会なんて何も教育について考えている訳がないと高校時代に僕は悟ったのです.
でも,逆説的に皮肉れば,僕はこの高校での貴重な3年間の体験があったが故に,没個性的な教育制度に拒否反応を示すようになり大学での自由な生活を堪能することができました.自分が学びたいことに集中できる環境.自己管理で生活できる環境は格別な喜びでした,特に創造的な世界に魅力を感じる様になったことは事実です.学生時代は油絵を描きました.専門分野でもある建築設計は人と横並びでは駄目なのですからさらに楽しい学問でした.また専門学校の講師になり教育者としての末席にも居る様になりました,なにより個性を重視したスタイルを貫きたいと考えます.「異端になれ」と旗を振っています.そして教員と学生との心のある対話こそが教育なのではないかと思い実践しています.
首相が,「美しい国をつくろう」と言った所で具体性が何もない美辞麗句への疑問.美しい国づくりを唱える人の汚い噂は一杯耳にします.そんな社会性や政治に興味をもつようになったのも3年間の体験があったからこそなのです.
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